立教池袋中学校・高等学校
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受け継がれる、キリスト教の精神(『立教中学校100年史』他参照)“St. Paul’s School-立教学校”のはじまり(1874)The Origin of Rikkyo明治時代初め、キリスト教に対する政策は依然として厳しいものでした。この間、ウィリアムズ主教は日本語の習得に努め、前島密、大隈重信ら日本人子弟に英学を教授していました。1873年に明治政府がキリスト教を解禁するや師は大阪から東京の築地に移り、翌年2月には聖書と英学を教える私塾を開きました。これが“St. Paul’s Schoolー立教学校”のはじまりです。“セントポール”は、日本での宣教に情熱を燃やす師が、初代キリスト教会を確立し、異教民族への布教活動を行った聖パウロにあやかったものです。「道ヲ伝ヘテ己ヲ伝ヘズ」“Teach the way, not the self.”1875年に念願の日本専任主教となった師は立教学校内に神学院を設け、神学生らと生活を共にしながら宣教活動に専心し、1887年には「日本聖公会」を組織します。1889年主教職を退任した師は、体の衰えるまで京都で宣教に努めた後、故国に戻り、その2年後安らかに永遠の眠りにつきました。享年81、生涯独身でした。1912年、立教関係者は師の生まれ故郷リッチモンドに「道ヲ伝ヘテ己ヲ伝ヘズ」と刻まれたウィリアムズ追慕碑を建立しました。これは師の生涯を簡潔に表現した言葉で、立教の創立者の生き方を今なお鮮やかに伝えています。立教中学校のはじまり(1896)Rikkyo Junior High School Begins明治初期の文明開化の時代には立身出世の近道としてキリスト教諸学校に全国から学生が殺到しました。しかし、明治も中頃となり国の教育制度が整備されはじめ、国粋主義思想が強くなってくると、人々の心は徐々に外国人経営の学校から離れていき、学校の経営は苦しくなりました。そこで立教は1896年の制度改革に際して、立教尋常中学校と立教専修学校を開設しました。前者は、立教としては「学校令」に準拠した最初の学校であり、これが立教中学校のはじまりでした。しかし、ようやく認可が得られたかと思うと、学校の宗教教育を禁止する旨の訓令が政府から新たに発せられ、立教だけでなく多くのミッション・スクールがその対応に苦慮しました。立教中学校は寄宿舎での宗教教育と行事を強化することで、この難関を乗り越えました。立教大学の設立(1907)Establishment of Rikkyo University第2代総理タッカーは、立教中学校で培った信仰心が進学によって薄れることを嘆き、キリスト教の精神を持ったリーダーを世に送り出すため1907年立教大学を設立しました。1918年には第3代総理ライフスナイダーが大学を築地から池袋に移転し、1922年には念願の「大学令による大学」に昇格することができました。しかし翌年9月1日、関東大震災で池袋の立教大学は一部崩壊、築地の立教中学校および寄宿舎は全焼してしまいます。マキム主教は直ちに「全てのものは失せたり、残るは主にある信仰のみ」と米国聖公会に緊急援助を要請しました。集められた援助資金の一部が立教に振り向けられ、大学校舎の修復と中学校の池袋への移転再建が実現しました。受難の時代(1940~)Days of Hardships日本が1929年の世界恐慌に巻き込まれ、次第に帝国・軍国主義に突き進んでいくと、米・英との関係は悪化の一途をたどり、立教も母教会である米国聖公会との訣別を余儀なくされました。1941年、太平洋戦争が始まると、米国と関係の深い立教に対する軍部の圧迫は日増しに激しくなり、もはや「キリスト教の学校」として存在することは許されなくなりました。1940年にライフスナイダー総理は立教学院理事長および立教大学総長を辞任し、翌年に最後の引き揚げ船で米国に帰国、1943年にはチャペルが閉鎖、国家弾圧のなかで立教を生んだ母体である日本聖公会は分裂状態となり組織として消滅します。一貫教育体制のスタート(1948)New Start aer the War1945年、キリスト教学校は明治以来半世紀にわたる規制から解き放されました。立教学院は、1948年4月、学制改革に合わせて旧制立教中学を二分して新制の立教中学校と立教高等学校を発足。立教大学総長兼中学校長であった佐々木順三は、日本が民主主義の道を歩むには幼児のころからキリスト教教育が必要であると考え、敗戦の混乱のなかで立教小学校創立を敢行し、ここに立教学院の小・中・高・大16年間の一貫教育体制がスタートしました。1960年には、立教高等学校が埼玉県の新座に移転しました。「一貫連携教育」-21世紀に向けて(2000)Educaonal Correlaon of Rikkyo立教学院では、小・中・高・大の一貫教育体制がはじまってからちょうど50年後の1998年、21世紀に向けて独自の教育を実現するために、一貫教育のさらなる充実を図った「一貫連携教育」構想を打ち出しました。この構想に沿う形で、2000年に立教中学校が高校を、立教高等学校が中学校を開校し、それぞれが中高一貫の立教池袋中学校・高等学校、立教新座中学校・高等学校として生まれ変わりました。140周年を迎えて新たなステージへ(2014~)The 140th Anniversary & New Stage立教学院総合発展計画のもと立教池袋中学校・高等学校では、教学改革プロジェクトの一環として、2012年度より英語の特化を含む生徒一人ひとりの学力のより一層の伸長を図るため、週6日制としました。2014年度からは、1学年の定員はそのままに3クラス制から4クラス制へ移行することで、1クラスの少人数化を図り、よりきめ細かい対応ができるようになりました。また、教学環境整備として、2013年度から新教室棟とポール・ラッシュ・アスレティックセンター(総合体育館)の利用を開始しています。立教学院は、2014年、ウィリアムズ主教が築地に立教学校を開いてから140周年を迎えました。私たちの立教池袋中学校・高等学校は、草創期と同じように少人数教育を実現し、「変わらぬ理念」を大切にしつつ、変化する情報や社会を捉え、時代と世界が求める教育のかたちにこれからも進んでいきます。立教学院の母体となっている聖公会は、カトリック、東方正教会に次ぎ7000万人の信者を持つ、世界で3番目に大きな伝統的キリスト教会です。16世紀前期にローマ教皇と袂を分かちイングランドで成立した英国国教会から生まれた教派で、アメリカ大陸では1606年のヴァージニア植民を機に上陸、18世紀末に「米国聖公会」として組織が成立しました。本校では、ウィリアムズ主教が立教学校をはじめた当初から、聖書に基づき真理を探究する姿勢を大切にしています。140年を越える立教学院の歴史と精神SINCE 187406RIKKYO IKEBUKUROJUNIOR & SENIOR HIGH SCHOOLSCHOOL GUIDE 2018

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