実践女子学園 中学校高等学校
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後列左より 叔母、母/前列 私、祖母親子3代で「実践女子」に入学。私の入学を祖母がいちばん喜んでくれました。祖母が実践女子に入学したのは、曾祖母の薦めから。曾祖母のころは下田歌子先生が現役活躍中で、その教えに感銘した曾祖母は、尊敬する下田先生の学校で娘を学ばせたかったそうです。以来私まで親子3代(実は祖母の姉も母の妹も)で実践女子にお世話になっています。何より私の入学をいちばん喜んでくれたのは祖母でした。また、家族で同じ話題で盛り上がれるのもうれしいです。実践女子の運動会の花形である「メイポールダンス」。母のときは本番で失敗してしまったそうで、私たちのクラスが和歌でつづる実践ヒストリー2019年実践女子学園は創立120周年を迎えます。~校祖「歌子」の名 1854(安政元)年○岐阜県恵那郡岩村に校祖「幼名:鉐(せき)」誕生 幼年期より、学問・詩歌を好み時代の流れに敏感な 聡明な少女として育つ。1871(明治4)年(鉐17歳)○父の後を追い上京1872(明治5)年(鉐18歳)○宮中に出仕して皇后陛下(のちの昭憲皇太后)に奉仕1882(明治15)年(歌子28歳)○桃夭学校設立 当時の政府高官の妻女が通う*「桃夭」とは桃の若木のみずみずしさを若い女性に喩えたもの1884(明治17)年(歌子30歳)○宮内省御用掛を拝命する○華族女学校創設へ1893(明治26)年(歌子39歳)○宮内省の命により欧米8カ国の女子教育を2年にわたり 視察一般女子の教育を確立せねばならぬと信念を固める皇后陛下から、すぐれた歌才を賞でられて「歌子」の名を賜るここに「下田歌子」が誕生する校祖「鉐」誕生から「歌子」になるまで実践女子学園創立までエピソード1エピソード2桃夭学校設立当時の「歌子」(右)春:生徒の成長を願う歌子の一首綾錦 着て帰らずば 三国山  またふたたびは 越えじとぞ思ふ敷島の 道をそれとも わかぬ身に かしこく渡る 雲のかけはし程もなき 袖にはいかに つつむべき 大内山に つめる若菜を手枕は 花のふぶきに 埋もれて うたたねさむし 春の夜の月黒土をもたくる草に新しききからも見えて春はうれしも 歌子春草43Jissen Joshi Gakuen Junior & Senior High School

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