頌栄女子学院中学校
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29卒業生が母校を語る本校では行事やクラブの発表、試合があるたびにたくさんの卒業生が学校を訪ねてきます。それは、クラブや生徒会活動を通して、縦の関係がしっかり築かれているためでしょう。こうした学年を超えた信頼関係が本校の長い伝統を作ってきたと確信します。頌栄の生徒は学校にいる上級生にとどまらず、目に見えない大勢の卒業生に支えられながら学院生活を送っています。これが私学の良さであり、かけがえのない財産だと言えるでしょう。頌栄を愛してやまない卒業生が、母校で過ごした日々がその後人生にどう影響を与えたかを語ってくれました。1997年3月卒業 大木 聖子現在の仕事:慶應義塾大学環境情報学部准教授、地震学者高校1年生だった1995年1月17日、変わり果てた神戸の街と、がれきに向かって泣き叫ぶ少女の映像を見て、私は地震学者になることを誓った。北海道大学地球物理学科に進学、大学院からは東京大学の地震研究所で学んだ。その頃、地震学者への道は険しくてつらいと、高校の時の担任の先生に弱音を吐いたことがある。先生は「大木はいつか地震学に行き詰ると思ってた。お前は人が好きだから」とおっしゃった。その10年後、私は先生が実に鋭く私を捉えていたことを知る。地震学は地球の方を向いた学問であって、人間の方を向いていない。人の命を救うには、地球だけではなく、人とも対話する新しい地震学を創る必要がある。先人のいないこの道を、私は今、ひたすらに進んでいる。躊躇なく新しい世界に踏み出すところも、地面の中より人間を見ずにはいられないところも頌栄生。そういう友人達と過ごした6年間が、今の私を形作り、支えている。生徒の本質を見抜き、見守り、導ける先生のいるところが頌栄なんだと、母校を心から誇りに思う。1998年3月卒業 田口  舞 現在の仕事:日本テレビ国際部記者大学3年の時に、台湾に1年間、交換留学をしたのですが、これが私にとって大きな転機になりました。日本テレビに入社後は、国内のニュースを取材する社会部、海外のニュースを取材する国際部、また報道番組を作るディレクターなど幅広い経験をすることができました。国際部の記者の仕事は、今後、世界史の教科書に取り上げられるかもしれない歴史的な瞬間に立ち会えるのが醍醐味です。中高時代は授業でも部活動でも生徒が打ち込みたいと思ったものを、暖かくサポートしてくださる先生方との出会いで、自分に自信を持つことができました。また卒業後も各分野で活躍する才能豊かな同級生に恵まれたことは、大きな刺激となる一方、励みにもなっています。「あれをやっておけばよかったな」と後悔することがない、充実した毎日を送ることができた頌栄での6年間の日々が強い自信となり、今でも私を後押ししてくれています。1999年3月卒業 森  麻季 現在の仕事: フリーアナウンサー人には出会いのタイミングや縁というものがあります。私は頌栄との縁がターニングポイントでした。小学校があまり好きではなく、自分の居場所は学校というところにはないと、幼心に思っていました。そんな私の不安は頌栄に入学すると一変。母がこんなエピソードを覚えています。「ママ、頌栄では思ったことを口に出して言えるんだよ。頑張りすぎなくていいみたい」と私が話したことを。頌栄で出会った友人たちとは教育方針も様々な感覚も似ている…。それまでの窮屈さ、理不尽さから解き放され、私にとって居心地のいい場所ができたのです。日本テレビアナウンサー時代、ある選手にインタビューしたときの印象的な言葉があります。「上手くいく時は、心がスッとしていて、何も考えていないに等しい感覚」つまり、いい具合に力が抜けたときが一番いいパフォーマンスができるということ。頌栄での私は自然と「力を抜く」ことができていたのかもしれません。

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