かえつ有明中・高等学校
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2の初頭、進路志望を決めかねていた尾崎さんに、担任が告げた。「あなたはきっとパイロットに向いている」 数週間後、修学旅行で訪れた仏シャルル・ド・ゴール空港。その日は強風で、何度も着陸をやり直し、無事に着陸すると機内に拍手が湧いた。そのとき尾崎さんの心は決まった。「いつか自分の手で、JALの飛行機をシャルル・ド・ゴール空港に着陸させる」 それでパイロットになったと言えば至極簡単に聞こえるが、パイロットになるにはまず、英語力が必要である。法律の知識も必要である。何よりも厳しい訓練に耐えた者だけが、操縦桿を握ることが許される厳しい世界である。 その厳しさに立ち向かえたのは、高1のとき、生徒会長選挙に立候補し、落選した経験があったからだという。「僕は決して成績がいいほうではなかったので、大学の推薦入試にポイントになるとか、何かを打開しようとして生徒会長選挙に手を挙げたんです。でも、落選して吹っ切れました。地道に努力しなければダメなんだと。そこで高2で難関大学進学クラスに入れてもらって本格的に勉強しました」 入学した法政大学は、理工学部に「航空操縦学専修」があり、パイロットへの道が開けているが、機械工学の単位を取りながら、航空技術の訓練をする必要がある。しかも目標であったJALは、尾崎さんが大学1年のときに会社更生法を申請し、採用枠がなくなっていた。「大学時代は暗中模索でした。就活ではいくつもの会社に落ちました。そうこうしているうちにJALグループのトランスオーシャンの採用があったんです」 いくつもの壁を乗り越えて夢を実現した今、後輩に伝えたいことがある。「中高時代には、今頑張らなければダメだという時期がある。そして素直さが大切であること。僕は高2の担任の先生の言葉に、素直に賭けてみようと思ったからこそ今があるんです」Message from GRADUATES 2009年卒業。法政大学理工学部卒業後、日本トランスオーシャン航空(株)に入社。24歳で副操縦士となる。自身のフライトに両親がはじめて搭乗したとき、彼の操縦士アナウンスに涙していたという。現在の揺るがない目標は、「無事故無違反で引退し、パイロットの育成をしたいです」高日本トランスオーシャン航空(株)  尾崎俊太さん最後まで諦めない者だけが実現できる夢がある尾崎俊太PROFILE6

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